<空に近い場所>
ブルージュは古い鐘の音が町全体に響き渡り、人を乗せて行き交う馬車とひずめの音がいつも絶え間なく聞こえてくるような町だ。
そこだけ時が止まったようなアンティークな街だ。赤褐色の古びた建物のレンガの色は街のイメージからはみ出すことなくたちつづけている。まるでかたくなに何かを守っているように新しい時代のものをよせつけない。さすが町全体が世界遺産に指定されたことだけはあるなと思った。
時代が流れた事をもしどこかで確認するならば、ブルージュと言う街に魅了されて止まない観光客の姿がそこここでみられることだろう。
アムステルダム入りしてから運河沿いに建つ沢山の古い建物にそろそろ目が慣れてきていた。これでもかというくらいに昨日のゲントではお目にかかれたから、名だたる世界遺産の街ブルージュとあってみても、へんに目が慣れてきてしまっていた。
それでもなかなかお目にかかれない煉瓦作りの建造物軍だ。しっかり見ておかなければ・・・ね。
ここでの印象的な思い出は夫と<ベルフォート>、街のシンボルの<鐘楼>に登った事だ。13世紀から15世紀に建てられた366段の石の螺旋階段の先には8角形の形をした頂上がそびえている特徴的な建物だ。私は思い出していた。イタリアでの新婚旅行でまさかっ!と思っていたデュオモに登ることになったことを・・・。時間はぎりぎりだった。デュオモに登る事をとるか、フィレンツェでのお買物をとるか。ここを登ったらもう時間は残りわずかと目算していた。
案の定,登り終わって出てきたところ目をつけていたショップは閉まり始めていた。<2頭追うもの1頭も得ず>ということわざが頭の中をめぐった。その時はどちらをとった方が良かったかはわからなかった。でも買物をしたかった自分がいたのも確かだった。夫には残念な胸の内を話した。彼は黙って聞いていた。この選択の価値がわかるのはまだ当分先になるだろうなと思っていた。
でもこの時の選択が私の中に何等かの影響を与えることになった。
あの時デュオモに登って得ることが出来たものは気持ちの良い汗と目に一杯に映った美しいフィレンツェの街。
登っていくごとに天井に描かれた絵も近づいていった。遠くてなかなか細かいところまでが見えなかった絵をまじかにみる事が出来た。努力すれば少しづつ何かが得られると知った。
街のショップ巡りもそれは楽しかっただろう。イタリア発の有名でオシャレなバッグはきっと私の大切な旅土産の1つになったかもしれない。
でもあの時デュオモに登って本当に良かったと今は心からそう思えるのだ。お互いが満足できる経験、共有体験とでもいうのだろうか?
あの長い階段をなんとか上ることが出来たのも夫がいてくれたおかげだ。後ろから支え、前を歩き私を導いてくれたおかげだ。
デュオモから臨んだ景色を見つめながら、満足感に包まれる自分がいた。
有名なレースも見ずに今回もまた夫に導かれるまま高い場所、ベルフォートに登った。それはもう年月を要さずに私の中で登っている瞬間から価値ある経験へと変わっていた。ありがとう.。オット♪
<アイドル>
今日はなんて豊かな1日なのだろう.。ブルージュで昼食を済ませた後はブリュッセルが私たちをまっている。それを思うと目の前に用意された食事にもたいした感心はなく気持ちがはやるというものだ。世界遺産の街に思いを残して次なる目的地へと急ぐ足。贅沢な春休み。
ブリュッセルは言わずと知れたレースとチョコレートの街。そしてここには世界で一番美しい広場と言われる<グランプラス>がある。ここが人々の待ち合わせの場所や憩いの場所になっているのだから、なんて贅沢な空間かと思う。あまりの煌びやかな美しさに夜のグランプラスに2日も通ってしまった。しかし意外にもその理由はバケツ一杯テンコ盛りのムール貝の美味しさにあったりする。そして名物は他にもある。フライドポテトだ。
カラッと上がったそれはマックのポテトをもう少し大きくした感じ。コレにマヨネーズをつけて食べるのがブリュッセル人の通な食べ方らしい。
オシャレで都会的な街にはそこここでフライドポテトを食べる人の姿が目に付く。世界遺産のグランプラスを前にしても、だ。
フライドポテトとワッフルとムール貝を食べたならもうベルギーの食は制したと考えても良いだろうか?安上がりで庶民的な食事だ。
ここでは忘れてはいけない世界3大がっくりと言われる街のシンボルが存在する。言わずと知れた彼の名は<小便小僧>。
彼にまつわる伝説も多い。彼の人生の中では軍隊や国の王様までがかかわる引っ張りだこの出来事も生まれる。アイドルとは大変な生き物だ。
世界各国から彼に進呈された衣装は600着以上とか。。。季節やイベントによって彼は着せ替え人形にされているらしい。
ちなみに私たちが訪れた時の彼のスタイルは初日ハダカンボ、2日目にお色直しの軍服を着ていた。とても凛々しい勇姿!1粒で2度美味しいとはこういうのをいうのだろうか???とにかく大変な思いをしても彼はしゃべらない。心ではどんな事を思っているのやら。
彼の向けるまなざしから読み取らなくてはならない.今日も沢山の人だかりだ。アイドルってホント大変だよね・・・。
売れっ子アイドルの妹や弟が芸能界デビューする事がある。デビュー曲から2〜3曲目までは注目されていても後はなんとなくいなくなってること,あるよね・・・。そんな感覚と似た感じをベルギーで味わった。
小便小僧の裏に<小便少女>の存在があったのだ。彼女は彼より約400年遅い1987年に世に出てきた.。彼女は裏通りの寂しい場所で
鍵をかけられた檻のような中に入って1人寂しくしゃがんでいる。檻何ぞには入っているものだから尚更イメージが悪い。檻に入っていること自体が良くわからない。ナゾだ・・・。.小便小僧はとても開放的なのにね!まるで光りと影を対照的に表しているようだ。
今日も数人、いやこない日もあるのだろう。足を向けるには本当に寂しい場所だ。次にいつこれるかわからないようなツーリストくらいしか彼女を探してまでは会いに行かないのではないかと思う。小便小僧のあの華やかなステージとはうって変わって彼女の悲しいさだめ。一体どんな経過で彼女は世にでてきたのだろう。それをいうならば小便小僧クンもそうだよね?
彼のあの赤ちゃんのような身体からでるおしっこがイタズラにカワイイ。でも女の子がしゃごんでしまってはあまりにリアルすぎるのだよ。アイドルにはアイドルになるべく要素と言う物があるのではないかと感じた。厳しい、だが現実だ。
又彼女は女のコなのに大して衣装もお持ちではないようだ。傍には彼女のグッズを売る店もない。何だかみてしまうのが悪いようなへんな感覚で向き合ってしまった。・・・気まずいのだ。
せめて彼女に用意されたステージが小便小僧クンの隣ならね!
アイドルへと昇り詰めるのはどうやら大変な事らしい。一握りの選ばれた人にしか光りのあたるステージは用意されていない。